國分功一郎

先に、人間は気晴らしと退屈が入り交じった、退屈の第二形式をおおむね生きていると述べた。(…)習慣を作らねば生きていけないが、そのなかでは必ず退屈する。だから、その退屈を何となくごまかせるような気晴らしを行う。人間は本性的に、退屈と気晴らしが独特の仕方で絡み合った生を生きることを強いられているのだとすら言いたくなる。(p.330)

『暇と退屈の倫理学』

太字=原文傍点