玄侑宗久

「個」の錯覚が元になった自己中心的な世界の眺めは、このもう一つの「知」である「般若」の実現で一変するのである。絶えざる変化と無限の可能性が「縁起」として実感され、あらゆる物質も現象も、「空」という「全体性」に溶け込んだ「個」ならざるものとして感じられる。そのとき人は、「涅槃」と呼ばれる究極の安らぎに到り、また「しあわせ」も感じるのではないだろうか。

『現代語訳 般若心経』

 

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