2015-03-18から1日間の記事一覧

橋本努

一般に、フリーダムとしての自由は文化や経済の領域で語られ、リバティとしての自由は政治や法の領域で語られることが多い。しかし両者は密接に結びついていると同時に、その意味は多義的である。 I・バーリンの有名な分類によれば、自由には「積極的自由」…

小林秀雄

(…)私達には、日に新たな機械の生活上の利用で手一杯で、その原理や構造に通ずる暇なぞ誰にもありはしない。科学の成果を、ただ実生活の上で利用するに足るだけの生半可な科学的知識を、私達は持っているに過ぎない。これは致し方のない事だとしても、そん…

ボブ・ブラック

人は皆、労働をやめるべきである。労働こそが、この世のほとんど全ての不幸の源泉なのである。この世の悪と呼べるものはほとんど全てが、労働、あるいは労働を前提として作られた世界に住むことから発生するのだ。苦しみを終わらせたければ、我々は労働をや…

今村仁司

アリストテレスによれば、理想的な国家では手仕事に携わる連中(職人)は国家のメンバーにしてはならない。プラトンも同様に、国家のメンバーたる自由人は決して手仕事に従事してはならないと厳しく言っている。商業にいたっては職人の労働よりももっと劣等…

パオロ・マッツァリーノ

働かざる者、食うべからず。よく耳にする言葉です。なんだか、どえらい昔からある金言・格言のひとつと思われがちですが、じつは日本人がこんなことをいい始めたのは、明治以降のことなのです。少なくとも、江戸時代以前にこんなことを口にした日本人はいま…

渡辺政隆

自然淘汰が作用する先に目的はない。ただ、生存繁殖率の違いがあるのみである。すなわち、たまたま利点をそなえたものが生き残り、その性質を子孫に伝えていく。その結果を後知恵で振り返れば、あたかも「神の見えざる手」が導いたかのような調和がもたらさ…

今村仁司

労働が原初の状態から「文明の状態」に人類を引き上げるのに大きな役割をした(苛酷な労働が人間を鍛え上げたというヘーゲルの命題をみよ)のは事実であろう。しかし、そのような歴史的事実と、労働が人間の本来的在り方であると言うのは別個の事柄である。…

小林秀雄

凡ては永久に過ぎ去る。誰もこれを疑う事は出来ないが、疑う振りをする事は出来る。いや何一つ過ぎ去るものはない積りでいる事が、取りも直さず僕等が生きている事だとも言える。積りでいるので本当はそうではない。歴史は、この積りから生れた。過ぎ去るも…

玄侑宗久

「個」の錯覚が元になった自己中心的な世界の眺めは、このもう一つの「知」である「般若」の実現で一変するのである。絶えざる変化と無限の可能性が「縁起」として実感され、あらゆる物質も現象も、「空」という「全体性」に溶け込んだ「個」ならざるものと…

老子

虚を致すこと極まり、静を守ること篤し。万物は並び作こるも、吾れは以て復るを観る。夫れ物の芸芸たる、各々其の根に復帰す。根に帰るを静と曰い、是れを命に復ると謂う。命に復るを常と曰い、常を知るを明と曰い、常を知らざれば、妄作して凶なり。(第十…

港千尋

原牛の生命も、クローン牛の生命も、そして再クローン牛の生命も、いまや同じように「生命」と呼ばれる。生命をクローンしてゆくという、この単純な事実以上に、わたしたちを驚かせるものはない。この「生命」は、「生命」科学や「生」物学と同じ意味として…

木村敏

神話学者のカール・ケレーニーによれば、古代のギリシャ語は生命を意味する二つの単語「ビオス」と「ゾーエー」をもっていた(岡田素之訳『ディオニューソス』白水社、15頁以下)。「ビオス」biosというのはある特定の個体の有限の生命、もしくは生活のこと…

村松剛

日本人は美しい緑の国土に、その美しさをかくべつ不思議と思わずに生きています。自然というものは美しいものだと、だれでもがあたりまえのこととして、そう考えている。春には花が咲き、秋には野山は紅葉します。もし神があるとすれば、この美しい自然のな…

加地伸行

風土的に言って、南アジアのインドは酷烈な環境である。「生きていること自身が苦しみである」ということばには実感がある。仏教のみならず、インド諸宗教が、共通してこの世の苦しみから救済を、解脱を求めたのは当然であろう。風土の過酷さと言えば、イン…