小林秀雄

(…)私達には、日に新たな機械の生活上の利用で手一杯で、その原理や構造に通ずる暇なぞ誰にもありはしない。科学の成果を、ただ実生活の上で利用するに足るだけの生半可な科学的知識を、私達は持っているに過ぎない。これは致し方のない事だとしても、そんな生半可な知識でも、ともかく知識である事には変りはないという馬鹿な考えは捨てた方がよい。その点では、現代の知識人の多くが、どうにもならぬ科学軽信家になり下っているように思われる。少し常識を働かせて反省すれば、私達の置かれている実状ははっきりするであろう。どうしてどんな具合に利くのかは知らずにペニシリンの注射をして貰う私達の精神の実状は、未開地の土人の頭脳状態と、さしたる変りはない筈だ。一方、常識人をあなどり、何かと言えば専門家風を吹かしたがる専門家達にしてみても、専門外の学問については、無智蒙昧であるより他はあるまい。この不思議な傾向は、日々深刻になるであろう。

「常識」/『考えるヒント』