今村仁司

労働が原初の状態から「文明の状態」に人類を引き上げるのに大きな役割をした(苛酷な労働が人間を鍛え上げたというヘーゲルの命題をみよ)のは事実であろう。しかし、そのような歴史的事実と、労働が人間の本来的在り方であると言うのは別個の事柄である。労働が社会生活に「必要」であると言うことと、人生の意味が労働にあり、労働の意味(喜び)が人生の生きがいになると言うことは、およそ別個の事態である。前者は社会科学的な事実である、後者はイデオロギー的思い込みである。いやそれどころか、労働意味論(労働喜び論)は、管理のためのイデオロギーである。もともと労働のなかに喜びなどはない、だからこそ無理にでも喜びの労働内在性を虚構しなくてはならない。そうでないと労働者は労働してくれないからである。

『近代の労働観』(p.150)