加地伸行

風土的に言って、南アジアのインドは酷烈な環境である。「生きていること自身が苦しみである」ということばには実感がある。仏教のみならず、インド諸宗教が、共通してこの世の苦しみから救済を、解脱を求めたのは当然であろう。
風土の過酷さと言えば、インドよりも、砂漠の中近東一帯(西アジア)はいっそう激しい。とすれば救世主を求め、天国を夢想し、生きて行くためにあれこれと選択する余地なく、唯一神を信ぜざるをえない感覚も分かる気がする。ユダヤ教キリスト教イスラム教などがそれである。
さて、北東アジアである。中国、朝鮮、日本――これらの国は、西アジアの中近東や南アジアのインドよりもはるかに住みやすい上に、多神教の国々である。その代表である中国の人々は、インド流のこの世は苦しみの世界であるなどと言うことは絶対に考えなかった。ましてキリスト教のような、人間は原罪を持つなどという考え方は、まったくなかったのである。それどころか、中国人は、この世を楽しいところと考えたのである。ここが、インド人や、中近東の砂漠の人々と決定的に異なるところである。

『儒教とは何か』(p.12-13)