清沢満之

無限大悲の如來は、如何にして、私に此平安を得しめたまふか。外ではない、一切の責任を引き受けて下さるゝことによりて、私を救濟したまふことである。如何なる罪惡も、如來の前には毫も障りにはならぬことである。私は善惡邪正の何たるを辨ずるの必要はない。何事でも、私は只自分の氣の向ふ所、心の欲する所に順從(したが)うて之を行うて差支はない。其行が過失であらうと、罪惡であらうと、少しも懸念することはいらない。如來は私の一切の行爲に就いて、責任を負うて下さるゝことである。私は只此如來を信ずるのみにて、常に平安に住することが出來る。如來の能力は無限である。如來の能力は無上である。如來の能力は一切の場合に遍滿してある。如來の能力は十方に亘りて、自由自在無障無礙に活動し給ふ。私は此如來の威神力に寄托して、大安樂と大平穩とを得ることである。私は私の死生の大事を此如來に寄托して、少しも不安や不平を感ずることがない。「死生命あり、富貴天にあり」と云ふことがある。私の信ずる如來は、此天と命との根本本體である。

「わが信念」

太字引用者

 

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