上田閑照

黙って坐って、黙る。坐って沈黙を共にするということの中に、エックハルトが「神はそれ自身において無である」と言いましたその「無」、それをリアルに生きる、死んで生きる仕方がそこにあると考えることができると思います。

 

エックハルトは、「神は無である」と言いましたが、ただ神に関してだけでなく、エックハルトの言葉で言いますと、「神の根底は私の根底、私の根底は神の根底」、その根底が無です。ですから無であるということは、そこで私が本当に私になるその一番の深い場所ということです。そういうことがエックハルトの場合、思想的にはっきり追究されていて、しかも生き方としてはさっき言いましたように「何故なしに生きる」という、そういう言葉で表現されています。そういうことが本当に一人一人の生きる直接のところでどう受けとめられるか。今触れましたように、黙って坐って沈黙するというそれが一つの具体的な道になると考えることができると思います。

 

それともう一つ、エックハルトの独特な考え方は、そのように神の奥底の「無」にまで徹底することが、同時にまた、この現実の世界に還って来る、そういう考え方と結びついているということです。神との合一から去って、「無へ」と「この現実に還ってくる」こととが相即しているということです。「無に」坐って、 そこから立ち上がって「世界内へ」です。

『上田閑照集 第七巻 マイスター・エックハルト』

参照:http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/3c3a1a42134f6beec9274afc651c0c58

関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/20110910/p1