ドゥルーズ

概念に欠けているのはひとつの爪である。絶対的必然性の爪、すなわち、思考に加えられる根源的暴力という、また奇妙さという、あるいはそれだけが思考をその自然的混迷とその永遠の可能性とから救い出す敵意という爪であるような一つの爪である。これほどの自体であってみれば、思考の中に強制的に引き起こされた、非意思的な思考(作用)よりほかに思考は存在せず、不法侵入によって、偶然から世界の中に生まれ出るがゆえに、ますます絶対的に必然的であるような思考しか存在しない。思考において始原的であるもの、それは不法侵入であり、それはまた敵であって、何ものも愛知(哲学)を過程せず、一切は検知から出発するのだ。思考によって思考される内容の相対的な必然性を安定させるために、思考をあてにするなどということはやめよう。反対に、思考するという行為の、また思考するという受苦(パッション)ー受動の絶対的な必然性を引き起こし、しっかりと立たせるために、思考するという行為を強制するものとの出会いの偶然性をあてにしよう。本当の批判の条件と、本当の創造の条件は、まさに同じものである。即ち、己自身を前提とするようなひとつの思考のイマージュの破壊、思考そのものにおける思考するという行為の発生。

『差異と反復』(上)

 

参照:http://harakiri-freak.tumblr.com/post/121187066958

関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2015/05/26/231324