長谷川英祐

協力しながら出し抜き合う。まったく、社会というものが存在するとヒトを含む生物の生活は単純ではなくなります。それというのも、進化においては、いかに多くの自分の遺伝子コピーを残すかが最大の問題なので、自分と異なる遺伝子をもつ個体と協力する限り、相手よりも自分が得をするやり方が進化していくのを止めることはできないからです。人間と違って生物に倫理観というものはなく、「そのほうが得になる」やり方が自然に増えてしまいます。社会自体を壊してしまうようなやり方は、自分たちも滅びてしまう結果を招くでしょうが、そんな究極の利己主義が侵入してくるのも防ぐことはできません。
でも、遺伝的な対立があるから利己と利他の対立が避けられないのだとしたら、協力する個体がすべて遺伝的に同質の社会では対立が起きないのでしょうか? 真社会性生物のなかには、この問題を考えるための絶好な例もあります。
つい最近、ハキリアリの一種ですべてのコロニーメンバーが完全な遺伝的クローンである種が発見されました。

(…)このハキリアリはクローン、つまり複数の自分で社会ができているわけで、遺伝的利害を巡る対立は原理的に生じません。まさに「超個体」といってよいでしょう。
このアリは、個体と社会の利益が完全に一致し、コロニーのために全身全霊尽くす究極の利他的存在なのでしょうか? それとも自分の遺伝子のためだけに働く超利己的なやつなのでしょうか? 私にもわかりません。

『働かないアリに意義がある』(p.127-129)

 

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