中西進

「まつり」とは、神がやってくるのを待ち受けることでした。神様をよぶためにさまざまなことを行ないますが、その一つが音楽で、古来、音楽を奏でることは神事でした。楽器とは、洋の東西を問わず、神降ろしの道具です。
美しい音楽を聴いているとうっとりし、激しい音楽では狂おしく、心を奪われるような気がします。神様をよぶために音楽を奏でているうち、奏者も聴衆も恍惚となり、トランス状態に陥ります。神からのお告げは、こうして意識が虚ろになった人のところに降りてくるのです。
神託は、恍惚状態になった人に神様が乗り移ることで得られるのですが、このような人を「よりまし(憑人)」といいます。神懸かりした「よりまし」が神の代理となり、その口を借りて神様が御神託を告げるのです。
そのためには、意識をなくしたうつろな状態にならなくてはいけない。この空っぽのぼんやりした状態を、古代の人々は「あそ」といい、「あそ」になるための行為として、楽器を奏することを「あそぶ」といいました。
空っぽにする「あそび」が、お遊びの「あそび」に変わるのも、まじめに目的意識をもって何かをするのではなく、ぼんやりと何の目的もなく、意志もはっきりしない、そういう状態が「あそぶ」だからです。

『ひらがなでよめばわかる日本語』(p.122-123)