デイヴィッド・J・リンデン

快はたしかに人間の心の動きの指針となり、美徳へも悪徳へも導いてくれる。痛みも同じだ。しかし、痛みと快は一本の棒の両端ではない。(…)愛の反対が憎しみではなく無関心であるのと同じように、快の反対は痛みではなく倦怠、つまり感覚と経験への興味の欠如なのである。
快感と痛みが同時に感受されうるということは、SM好きでなくともわかる。(…)認知神経科学の言葉遣いで言うと、快感も、痛みも、共にサリエンス(顕現性)を示すということになる。つまり、それは潜在的に重要な経験であって、注意を向けるに値するということだ。情動とはサリエンスの通貨である。多幸感や愛のようなポジティブな情動も、恐怖や怒りや嫌悪のようなネガティブな感情も、どちらも、それは無視してはならない出来事だということを告げるものなのだ。

『快感回路』

 

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http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2015/03/02/074158