ドストエフスキー

≪お前は世の中に出て行こうと望んで、自由の約束とやらを土産に、手ぶらで行こうとしている。ところが人間たちはもともと単純で、生まれつき不作法なため、その約束の意味を理解することもできず、もっぱら恐れ、こわがっている始末だ。なぜなら、人間と人間社会にとって、自由ほど堪えがたいものは、いまだかつて何一つなかったからなのだ!この裸の焼野原の石ころが見えるか?この石ころをパンに変えてみるがいい、そうすれば人類は感謝にみちた従順な羊の群れのように、お前のあとについて走りだすことだろう。もっとも、お前が手を引っ込めて、彼らにパンを与えるのをやめはせぬかと、永久に震えおののきながらではあるがね≫

ところがお前は人間から自由を奪うことを望まず、この提案をしりぞけた。服従がパンで買われたものなら、何の自由があろうか、と判断したからだ。お前は、人はパンのみにて生きるにあらず、と反駁した。だが、お前にはわかっているのか。ほかならぬこの地上のパンのために、地上の霊がお前に反乱を起し、お前とたたかって、勝利をおさめる、そして人間どもはみな、≪この獣に似たものこそ、われらに天の火を与えてくれたのだ!≫と絶叫しながら、地上の霊のあとについて行くのだ。

ああ、われわれがいなかったら、人間どもは決して、決して食にありつくことはできないだろう!彼らが自由でありつづけるかぎり、いかなる科学もパンを与えることはできないだろう。だが、最後には、彼らがわれわれの足もとに自由をさしだして、≪いっそ奴隷にしてください、でも食べものは与えてください≫と言うことだろう。ついに彼ら自身が、どんな人間にとっても自由と地上のパンとは両立して考えられぬことをさとるのだ。それというのも、彼らは決してお互い同士の間で分ち合うことができないからなのだ!

 カラマーゾフの兄弟』(原卓也 訳 新潮文庫 p485-487)

 

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