ダンカン・ワッツ

企業や文化、市場、国民国家、世界規模の組織がからむ「状況」は、日々の状況とはまったくちがう複雑性を呈する。このとき常識は数々の誤りを犯し、われわれは否応なく惑わされる。だが、常識に基づく推論の欠陥にはめったに気づかない。むしろ、「そのときは知らなかったが、あとから考えれば自明のこと」であるかのようにわれわれの目には映る。
このように、常識の矛盾とは、世界に意味づけをするのに役立つにもかかわらず、世界を理解する力を弱めてしまうことだ。読者のみなさんがこの話にあまり納得できなくても問題ない。その意味を説明するのが本書の役目だからだ。
だがその前に、関係のあることを言っておきたい。本書について友人や同僚と話したとき、興味深いパターンが見られるのにわたしは気づいた。論旨を抽象的に説明したときは、みなうなずいて盛んに同意してくれる。「そのとおり」。そしてこんなふうに言う。「ぼくも前から思っていたんだが、実は何ひとつわかっていないのにわかっている気分になるために、人々はありとあらゆるばかげたことを信じている」
しかし、まったく同じ論旨で相手の特定の信念に疑いを挟むと、決まって態度が変わる。「常識や直観の落とし穴についてきみの言っていることは、まあ正しいのかもしれないけど……」。だいたいこんな調子の答が返ってくる。「ぼくの信念に対する自信がそれで揺らぐことはないよ」。まるで常識に基づく推論の失敗が、自分にかぎっては起こらないかのような口ぶりだ。

『偶然の科学』

強調原文


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