ダンカン・ワッツ

ひとつめは、基本が理論的な正規の知識体系と異なり、常識はきわめて実践的であることだ。つまり、どうすれば答が得られるかと悩むよりも、問いに答えを与えることに重きを置いている。

ある人にとっては当たり前のことが、ほかの人にはばかげて見えるのなら、世界を理解する土台として常識は頼りにならないのではないだろうか。

したがって、常識に基づく推論はただひとつの決定的な限界ではなく、複数の限界が組み合わさったものに悩まされている。そしてそれらはすべて補完関係にあり、さらには互いを覆い隠している。その結果、常識に基づく推論は世界を意味づけするのは得意だが、世界を理解するのは必ずしも得意ではない。

『偶然の科学』

 

参照:http://rashita.net/blog/?p=13855

 

関連:http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51768020.html
http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2015/04/18/171818
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