國分功一郎

國分:僕は哲学をやってる人間だから大きなことを言いますけれど、「デモクラティック・ラグジュアリー」というのは、最終的には生産と消費の体制全体の変化につながっていかないといけないし、これはそうした変革につながっていくスローガンだと思います。生産者側がいいものを供給し、それをみんなが「多少お金を払ってもいい」「これはいいものだ」と思って長く使う。長く使うということは、手入れしながら、修理しながら使っていくということですね。

 

冨田:“いいもの”というのは、品質が“良い”だけでなく、児童に労働させないというようなエシカルな意味での“善い”もの、でもありますよね。

 

國分:まさにそうです。それはまさしくモリス*1が言っていたことで、彼は商品を常に労働から考えていました。「こんな粗悪な商品を作っている労働が、いい労働であるはずがない」「こんな労働で作られた商品が、いいものであるはずがない」と。安いか高いかだけで考えたら、児童労働の商品も売れるでしょう。だけど、それでいいのか。買い物というのは、実はそういう総合的な判断が問われる実に重要で難しい行為なんだと思います。

もちろん、いいものを受けとめられる感性を養うことも必要です。でも、それだけじゃなくて、買い物という総合的な行為全体に関わる倫理学、「買い物のエチカ(倫理学)」を考えたいんです。買い手が生産過程にも気を配り、そして、売る側には情報公開を求めていく。そういう倫理学ですね。

「われわれは常に、贅沢をさせろと要求しなければいけない」──國分功一郎

 

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