戸田山和久

この世で行為する現実のエージェントが望むに値する自由は、決定論と矛盾しない。自由なエージェントとは、まず第一に、理由によって行為する。つまり自分にとって良きものを求め避けるべきものを避けるという目的をもって行為する。そして第二に、行為に先立って行為を検討することのできる自己コントローラーである。そして第三に、経験に基づいて自分を再プログラムできる。これがもつに値する自由の正体である。これは、われわれが決定論的な物理システムであってももちうる。というより、決定論的な物理システムだからこそもちうる。そして、このような自由なエージェントは進化の過程の産物である。自由でないエージェントから徐々に自由を広げてきた。

しかし、「理由によって行為する」「目的をもつ」「反省的に行為を検討する」「自己コントロールする」「自分を変える」などのフレーズがひとたび形而上学的に解釈されると、たとえば不動の第一動者とか因果的世界とは別個の理由の世界とかが議論に導入される。こうして、この世で進化的に獲得されたはずのささやかな自由は、われわれに手の届かないとんでもなく神秘的なバージョンの自由にふくれあがる。しかし、そんなインフレ自由は、もし手に入ったとしても、もつに値しない自由なのである。

『哲学入門』

 

太字原文