永井均

「(…)ぼくらはね、ふだん自由って感じを持つことはほとんどないんだ。むしろ逆に、ときどき自由でないって感じの方を持つんだよ。それはね、何かしようと思っても、羽交い絞めにされてたり体が麻痺してたりして、どうしても動けないとか、そういうときに自由でないと感じるんだ。だから、本を読もうと思えば読んじゃうっていうのは、ちっとも不自由じゃなくて自由なのさ。むしろ、自由って観念の源泉はね、そういう、不自由がないってことにしかないんだよ。」
「つまり、そうしようと思えばそうできるってのが自由ってことの源泉なんだから、しようと思うっていうその思いそのものは、ふと思ったんでも何でもいいってこと?」
「しようと思ったときにそれができないって経験にあたるものは、しようと思うことそれ自体にはないからね。だから、ほんとうは、そこには自由も不自由もないのさ。翔太は勉強しようと思えば、そうすることもできた。でも、そう思わないで、本を読もうと思った。そして、それを阻害するものが何もなかったので、意志に従って本を読むことができた。おしまい。それだけさ。だから、翔太はもちろん勉強しようと思うことだってできたよ。つまり、それは可能だったんだ。でも、それなら、その意志を翔太が自分の力で引き起こすことができたか、なんて問いは、問い自体がまちがってるんだよ。意志はがんらい自由か不自由かなんて空間の中にはないのさ。」

『翔太と猫のインサイトの夏休み』

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