中村元・田辺祥二

人生はすべて楽しいと信じている人にとっては、仏教は無縁であります。しかし、どんな人間でも、苦から無縁であることはできません。というのは苦とは、もともと「思い通りにならないこと」を意味しているからです。人生はすべて思い通りになることはありません。人生は決定的に苦と結びつけられています。この世に思い通りに生まれた人はいませんし、老いや病いや死から自由となって思い通りにコントロールするわけにはいきません。死別の苦しみは思い通りにならない第一のものですし、気に入らない人、あるいは気に入らない事に出会うこともどうにもなりません。また望んで手に入らないものばかりであります。これが人間存在の現実なら人生は苦であります。この苦の自覚がブッダが理法に入る第一歩なのです。この根本苦というべきものは、人間のはからいで何とかなるものではありません。日常的な不足や不安といったものは努力するとか、改善するとかして超えることはできますが、存在自体の苦しみは避けたり捨てたりできません。苦の原因は妄執とか渇愛とかいわれます。渇愛とはのどが渇いたとき水を求めるあのやむにやまれぬ欲求を比喩的にいっている言葉です。これは人間の根源的な生存に対する深く重い執着のことではないでしょうか。

『ブッダの人と思想』

 

太字引用者