金谷治

論語』のなかには、調和についての有名な言葉があります。
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和ぜず」(子路篇)
「和而不同」、よく色紙などにも書かれる名言です。和と同とは違う。和はよいけれども、同はつまらない人間のすることだ、というのです。この章、伝統的な解釈に異説はありません。同は付和雷同の同で、だれかが一つ意見を立てると、みんなが賛成賛成とと異口同音にそれに従って、全体が合同して一枚になることです。ところが和の方は、全体が統合されて一つになる点では同と似ていますが、実はその中身は多数の意見で満たされているのです。同は同一で、初めから終わりまで単なる一ですが、和の方は雑多なものがまず混在して、それがまとめられて統合されたものです。統一の形は似ていても、その質的な違いは大きいのです。初めから一つでは和にならない。違っているものがたくさんでもみあってこそ和になるのです。
中庸で言えば、右でも左でもないと区別してその中ほどを選ぶ、そして右でもあり左でもあるというように違った両端を中央に接収して、そこで調和ができるということになります。両端がなければ中も和もありません。両端がひっこんで消えてしまったのでは和にならないのです。

『中国思想を考える』(p150-151)

 

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