小林秀雄

社会のあるがままの錯乱と矛盾とをそのまま受納する事に堪える個性を強い個性という。彼の眼と現実の間には、何等理論的媒介物はない。彼の個人的実践の場は社会より広くもなければ狭くもない。こういう精神の果しない複雑の保持、これが本当の意味の孤独なのである。社会は殻に閉じこもった厭人家や人間廃業者等を少しも責めない、その癖いつも生ま身を他人の前に曝している様な溌溂とした個性には、無理にも孤独人の衣を着せたがる。何故だろう。俺にはこの算術はかなり明瞭に思われる。社会は己れを保持する為に、一種非人間的な組織を持たざるを得ないし、多数の人々がこの機構にからまれて浅薄な関係を結び合い、架空な言葉を交換し合う強い習慣をどうにも出来ないからだ。社会は人々の習慣によって生きる。社会革命とは新しい習慣をあらたに製造する事だ。これが凡そ習慣というものが気に入らない或る個人の革命を嫌悪する所以なのだ。金銭(かね)は生き物だという、つまり人間とは多少は金銭(かね)に似ているという意味である。

(「Xへの手紙」/小林秀雄『Xへの手紙・私小説論