小林秀雄

人間は、手を持っているからこそ智慧を持つ、とアナクサゴラスが言ったが、恐らく、人間の知性の正しい解明は、原始人の石鏃から近代人の機械に至る、人間が作り得たもの或は破壊し得たものの裡にしか求め得られまい。人間が種族保存上、有効に行動し生活する為に、自然は、人間に、知性という道具を与えたのは確からしいが、己れの謎を解いて貰う為に与えたとは到底考えられぬ事である。従って、知性は、行為の正確を期するに充分なものだけを正確に理解する。物と物との関係には、いよいよ通暁するが、決して物の裡には這入らない。そのような事は無用の業でなければ狂気の沙汰だ。恐らく、存在と認識の間のディアレティックは、永遠に空しいであろう。

ランボオⅢ』


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