松尾隆佑

選挙にできることは大したことではない.人々の利害をできるだけ的確に政治システム内部に反映させられるような,よりよい選挙のあり方を考えていくことは重要である.だが,もともと選挙にできることは限られているという点を忘れてはならない.「民意」は選挙前や選挙過程を通じてのみ現れるわけではなく,予め確固たる姿形を持っているわけでもない.政治的な代表性や応答性(アカウンタビリティ)が選挙を通じてのみ得られると考えてしまうなら,選挙で勝利した者こそが民意の体現者であり,何をしても許されるということになってしまうだろう.しかし,選挙があるかないかにかかわらず,民意の伝達・反映は絶えず行われねばならないし,応答性も確保されねばならない.


デモクラシーにとって,選挙はごく限られた意味しか持たない.選挙がすべてだと考えるときに忘れられるのは例えば,有権者ではない人々や,何らかの理由で権利を行使できない人々のことである.彼らは選挙に参加できない.しかしそのことは,政治に参加できないことを意味しない.未成年は選挙権を持たない.だが彼らは政治的権利を認められており,自らの意見を世に発信したり,街路を埋め尽くしたりすることはできる.定住外国人には選挙権を与えるべきであろう.だがこの主張は,選挙権がないあいだは彼らの声に耳を傾けなくてもよいということを意味しない.ここでは言及しきれないすべての政治的無能力者にも,代表性と応答性が確保されるよう,模索が為されねばならない.デモクラシーは彼らに開かれており,政治は選挙の外へと無限に延びている.

「 選挙は何も決められない」
http://kihamu.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html


関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2015/05/17/000352