須原一秀

繰り返すが、人生は全体として、意味が有るものでも意味が無いものでもない。人生のある部分がある人にとって意味が有り、別のある部分はその人にとって意味が無いだけのことである。したがって、全体として一面的な判断などできるはずもないのである。それにもかかわらず、一面的に判断してそれを全体へと敷衍すると、厭世主義や虚無主義が発生するのである。

自死という生き方―覚悟して逝った哲学者』


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