玄侑宗久

「事を知り、世を知れれば、願はず、わしらず、ただしづかなるを望みとし、憂へなきを楽しみとす」
こんな世の中では何も願わない、何かを求めて走りまわることもしない、ただ静かで、憂いのない生活がいいのだと、しみじみとした口調で宣言するのです。これは禅で謂う、足るを知る「知足」、あるいは外に何も求めない「無事」という境地です。不遇な人生を送ってきた長明は、方丈の庵でようやくそんな心境に達した。

『無常という力』