池谷裕二

快感と不快感は正反対の感覚のように思いますが、実はメビウスの輪の表裏のように紙一重の違いでしかないようです。
たとえば、エルサレムヘブライ大学のアヴィーザー博士らは2012年の『サイエンス』誌で、顔写真から、(1)性的エクスタシーに浸っているのか、(2)音楽に陶酔しているのか、(3)痛みに苦悶しているのか、あるいは(4)試合に負けて悔しがっているのか、のどれかを言い当ててもらう実験を行ったところ、まったく区別できなかったと報告しています。つまり、快と不快は極限状態では同じ表情になるのです。

身体はアクセルを全開にすることはありません。アクセルを踏むときには同時にブレーキも踏み込みます。痛みについても同じことが言えます。「痛い!」と感じるときには、同時に「痛くない!」という脳内信号も走ります。痛みを消す神経物質はエンドルフィンやエンケファリンとして知られる「脳内麻薬」です。この鎮痛用信号は同時に最高の快感をもたらす神経物質でもあります。
ときに「痛さが快感」という趣味の方がいますが、これはアクセルとブレーキのバランスがブレーキ側に偏っていて、痛みを感じるときに脳内麻薬が多くでるために、痛覚に伴う快感が前面に出てくるのでしょう。

これは特殊な話ではありません。本来は不快であるはずのオシッコやまどろみを快感として経験するのも同じ原理で、いわば学習性マゾヒズムです。
長距離ランニングに快感を覚えるランナーズハイ、仕事をしないと気がすまないワーカホリック、苦味飲料であるコーヒーのビールの愛飲――ヒトはメビウスの輪の快と不快を往来するパラフィリアなのです。

 「パテカトルの万脳薬 連載102回」

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