小坂井敏晶

こんな例がわかりやすいだろう。火事だと誰かが叫び、劇場でパニックが起きる。踏みつぶされないようにと、誰もが逃げ道を探す。しかし、人間の雪崩を生み出しているのは、まさしくその逃げ惑う人々自身だ。皆が逃げるからこそ、誰もが逃げられないという逆説的な状況が起きている。危険はすでに去ったと知ってもパニックは容易に収まらない。逃げる必要がないと悟っても、周りの人々が逃げ続けるから、私も逃げ続けなければならない。そうしないと踏みつぶされてしまう。しかし私が逃げれば、隣人も逃げざるをえない。結局、皆、逃げ続けるしかない。誤報だったと全員が知ってもパニックは収まらない。危険はないと私も隣人もわかった。しかし、その事実を隣人が知っているかどうか、私には不確かだ。だから逃げざるをえない。隣人も同じだ。危険が去った事実に私がまだ気づいていない可能性がある。だから逃げる方が安全だ。こうして、逃げる必要はないと全員で思いながら仕方なしに皆、逃げ続ける。

この例でわかるように、根拠がなくとも、集団現象はいったん動き出すと、当事者の意志を離れて自律運動を始める。社会現象を起こす原因は人間の営為以外にないという言明と、その現象が人間自身にも制御できないという事実には何の矛盾もない。社会=全体の軌跡は、構成員=要素の意識や行為から遊離し、外部の力が作用するような感覚を生む。責任・道徳・経済市場・宗教・流行・言語など、様々な集団現象はこのように機能する。

『人が人を裁くということ』(p.185-186)

 

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