小林秀雄

正常に考えれば、実行家というものは、みな懐疑派である。精神は、いつも未知な事物に衝突していて、既知の言葉を警戒しているからだ。先ず信ずるから疑う事が出来るのである。与えられた事物には、常に精神の法則を超える何ものかがある。実行という行為には、常に理論より豊富な何ものかが含まれている、さような現実性に関する畏敬の念が先ず在るのである。だから強く疑う事が出来るのです、最後の一つ手前のものまでは。

「私の人生観」

 

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