ダニエル・カーネマン

ある言明の理解は、必ず信じようとするところから始まる。もしその言明が真実なら何を意味するのかを、まず知ろうとする。そこで初めて、あなたは信じない*1かどうかを決められるようになる。信じようとする最初の試みはシステム1の自動作動によるものであり、状況を最もうまく説明できる解釈を組み立てようとする。ギルバートによれば、たとえ無意味に見える言明であっても、最初は信じようとするという。たとえば、彼がこしらえた例文「白い魚がキャンディを食べている」を読んでみてほしい。たぶんあなたの脳裏には、ぼんやりと魚とキャンディの印象が浮かんだことだろう。これは、無意味な文章に意味をもたせようとして、連想記憶の自動処理により二つの観念を関連づけようとした結果である。

ギルバートは、信じないという行為はシステム2の働きだと考え、この点を立証するためにエレガントな実験を行った。参加者は「ディンカは炎である」といった無意味な文章を読まされ、数秒後に「正しい」と書かれたカードか「まちがい」と書かれたカードを見せられる。その後に、どの文章が「正しい」に分類されたか思い出すテストを受ける。ただし一部の参加者は 実験中ずっといくつかの数字を覚えているよう支持されている。こうしてシステム2が忙殺されると、まちがった文章を「信じない」ことが難しくなるという偏った影響が現れた。実験後に行われた記憶テストでは、数字を覚えているせいで疲れ切った参加者は、大量のまちがった文章を正しかったと考えるようになった。このことが示す意味は重大である。システム2が他のことにかかりきりのときは、私たちはほとんど何でも信じてしまう*2、ということだ。

『ファスト&スロー(上)』(p147-148)

 

関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2015/11/20/232510

参考:確証バイアス - Wikipedia

*1:強調原文

*2:強調引用者