池谷裕二

生きる意味はなんでしょう――大学で教鞭をとっていると、若い学生からそんな問いを受けることがあります。私は決まってこう答えます。「その意味を探すプロセスこそがヒトとして生きる意味ではないでしょうか」と。生きる目的は人によってちがうはずです。いや、本当のところ、意味や目的なんて、はじめからないのかもしれません。ただ、それを一生かけて探す過程は万人に共通しているように思えます。
ヒトを「考える葦」にたとえたのはフランスの哲学者パスカルです。しかし、考えるだけならばイヌやサルでもできます。むしろ、ヒトに固有な能力は、意味を問う疑問力ではないでしょうか。だからこそ、泣いても悲しんでもヒトとして生きることが定められている命でしたら、せっかくなら楽しくごきげんに問いつづけたい――そう私は願っています。詠嘆するもよし、厭世的になることもよし、苦悩するもよし。それでも下地では、つねに前向きな姿勢を貫いて、笑顔で生き抜きたいと。

『脳には妙なクセがある』(p4)

 

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