2016-01-01から1年間の記事一覧

河合祥一郎

哲学者ニコラウス・クザーヌスの「神の照覧あるが故に我在るなり」(神様が私をご覧になっているから、私は存在する)という言葉に象徴されるように、中世における自我は、自分ひとりで存在することはできず、常に神とともに受動的に世界に在るというもので…

吉川浩満

はじめに──フロイトの二段階革命 本稿は、人間の思考、なかんずくその合理性と主体性をめぐって進行している知識革命にかんする中間報告である。 ジークムント・フロイトはかって、人類は科学によって三度自尊心を傷つけられた、と語った。コペルニクスの天…

本居宣長

物語を見るは、「物の哀れを知る」といふが第一なり。物の哀れを知ることは、物の心を知るより出で、物の心を知るは、世の有樣を知り、人の情(こゝろ)に通ずるより出づるなり。 「紫文要領」 参照:https://twitter.com/suzunoyanoushi/status/66452407998…

ケインズ

長期的に見ると、われわれはみな死んでしまう。嵐の中にあって、経済学者が言えることが、ただ、嵐が遠く過ぎ去ればまた静まるであろう、ということだけならば、彼らの仕事は他愛なく無用である。 『貨幣改革論』

アインシュタイン

世界で最も不可解なのは、世界が理解可能であるということです。 The most incomprehensible thing about the world is that it is comprehensible. 参照:http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51030685.html 関連:http://hideasasu.hatenablog.com/…

ドミニク・チェン

シャナハンはJournal of Consciousness Studies誌に「シンギュラリティの前の悟り」(Satori before Singularity)という、短いが興味深い論文を寄稿している。そこでは汎用人工知能から導かれる超知能の特性として、post-reflectiveという形容詞が登場する。…

西行

風になびく富士の煙の空に消えて行方も知れぬ我が思ひかな 『新古今和歌集』

岡倉覚三

茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々と教えるものである。茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもの…