ドストエフスキー

「(前略)彼らに言わせれば、いっさいが≪環境にむしばまれた≫ためなのだ、――それ以外は何も認めない!彼らの大好きな文句だよ!この論でいくと当然、社会がノーマルに組織されたら、たちまちいっさいの犯罪もなくなる、ということになる。抗議の理由がなくなるし、すべての人々が一瞬にして正しい人間になってしまうからだ。自然というものが勘定に入れられていない、自然がおしのけられている、自然が無視されているんだ!彼らに言わせれば、人類が歴史の『生きた』道を頂上までのぼりつめて、最後に、ひとりでにノーマルな社会に転化するのではなくて、その反対に、社会システムがある数学的頭脳からわりだされて、たちまち全人類を組織し、あらゆる生きた過程をまたず、いっさいの歴史の生きた道をふまずに、あっという間に公正で無垢な社会になるというのだ!だから彼らは本能的に歴史というものがきらいなのさ。≪歴史の内容は醜悪と愚劣のみだ≫なんてうそぶいてさ――なんでも愚劣の一語でかたづけている!だから生活の『生きた』プロセスもきらいなんだよ。『生きた』魂なんていらないんだ!生きた魂は生活を要求する、生きた魂はメカニズムに従わない、生きた魂は懐疑的だ、生きた魂は反動的だ!(中略)論理だけでは自然を走りぬけるわけにはいかんよ!論理は三つの場合しか予想しないが、それは無数にあるのだ!その無数の場合をいっさいカットして、すべてを安楽(カムフォート)に関する一つの問題にしぼってしまうのだ!もっとも安易な問題の解決だよ!こんないいことはなかろうさ、何も考えなくてもいいんだ!魅力は――考えなくてもいいということだよ!いっさいの人生の秘密が全紙二枚のパンフレットにおさまるんだ!」

罪と罰』上巻 第三部448項〜449頁 ラズミーヒンの台詞(新潮文庫版 工藤精一郎訳)

※『』部分は原文では傍点[個人と社会]