脳・心理

池谷裕二

つまり自分の心を自分の心で考えるのはリカージョンだよね。リカージョンは、原理的には、無限に入れ込むことができるけど、でも、それを行う場であるワーキングメモリは、残念ながら、有限なんだ。だから、リカージョンはすぐに飽和しちゃう。自分の心を考…

池谷裕二

おそらく、進化の過程で、動物たちは他者の存在を意識できるようになった。そして次のステップでは、その他者の仕草や表情を観察することによって、その行動の根拠や理由を推測することができるようになった。他者の心の理解、これが社会性行動の種になって…

デイヴィッド・J・リンデン

快はたしかに人間の心の動きの指針となり、美徳へも悪徳へも導いてくれる。痛みも同じだ。しかし、痛みと快は一本の棒の両端ではない。(…)愛の反対が憎しみではなく無関心であるのと同じように、快の反対は痛みではなく倦怠、つまり感覚と経験への興味の欠…

池谷裕二

(…)自由意志は存在するかと聞かれたら私は、自分が「自分は自由だ」と信じているのなら「存在する」と言っていいと思います。ただし、「自分は自由だ」と感じる「意識」とは、脳の活動の大半を占める無意識から見たら、表層的な飾り物にすぎない。自由は、…

高間大介

私たちの祖先はもともと、客観的に世界を眺めていたことなど、ほとんどなかったはずだ。そこに危険が潜んでいないか、利益をもたらすモノはないか、切実に眺めていたほうがはるかに多かったにちがいない。脳も当然、その用途に適すものになっているというこ…

池谷裕二

進化の話をするとき、ヒトには楽しいとかユーモアというポジティブな感情があるけれども、下等な動物にはなさそうだ、だからヒトのほうが高等だと考える人がいます。たしかにそういう側面はあるかもしれませんが、私はこういう考えをあまり持ちません。むし…

下條信輔

どうやらヒトには元来、秩序や因果を発見しようとする強い認知傾向があるようです。本来意味やつながりがないとわかっているランダムな出来事や事象にも、意味や因果、あるいは法則を見出そうとする。これは非常に根強い、ヒトの本質的な性向です。逆にいえ…

池谷裕二

哲学では「存在とは何ぞや」と、大まじめに考えていますが、大脳生理学的に答えるのであれば、存在とは「存在を感知する脳回路が活動すること」と、手短に落とし込んでしまってもよいと思います。つまり私は「事実(fact)」と「真実(truth)」は違うんだと…

デイヴィッド・J・リンデン

要するに、人間の脳における快感と連合学習の相互作用は諸刃の剣と言える。経験により快感回路を長期的に変化させる能力のおかげで、人間はさまざまなものを自由に報酬と感じることができ、抽象的観念さえも快いものにできる。突き詰めて言えば、人間の行動…

デイヴィッド・J・リンデン

美徳と悪徳は神経から見れば一つであって、どちらを向こうとも、快感が私たちを導いていることに変わりはない。 『快感回路』 関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2015/02/17/212534