望月優大

ミシェル・フーコーは1982年に「無限の需要に直面する有限の制度 Un systeme fini face a une demande infini」という小文を書いています。これは社会保障の制度について論じたものですが、法が保証する権利が法の具体的運用の場面で与えられない、その具体的な問題について論じたものです。

 

シャルリー・エブドをめぐる問題や日本のヘイトスピーチ問題にも通ずる問題ですが、法が与える権利を基にしたある種無限の需要に対して応えきるほどのリソースを政府が持ち合わせていないケースはどんどん増えています。そのとき、「自分こそが有限なリソースをあてがわれるべき権利がある」という主張をする集団同士のぶつかり合いが、一つの社会のうちに根源的な分裂を生み出してしまいます。

 

これは簡単に解決しがたい根源的な問題です。一気に全てを解決する方法を思いつくような話ではない。しかしながら少しずつでもいいから具体的な場面の一つ一つで改善策を出していく必要があります。そして、政府にできることが限られている以上、そこに新たな価値をのせることができるのは、民間の市民やグループでしかないわけです。企業やNPO、大学、そして一人一人の個人が問題を発見し、具体的な解決策を出していく必要があります。行政のクオリティを監視するとともに、行政を補完する市民の行動をどんどん豊かにしていくことが重要です。

本書の最後に市民的不服従についてのハーバーマスの理論が紹介されています。社会問題を解決するための市民の行動が、その行動を行ったタイミングで非合法であることについてどう捉えるかという、非常に難しい問題です。しかし、ガンジーローザ・パークスを例に出すまでもなく、そうした一つ一つの行動が社会を動かしてきた、それも良い方向に動かしてきたことは間違いない訳です。

大竹弘二+國分功一郎『統治新論』を読んだ

太字原文

 

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