吉田兼好

また云はく、「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづがはしく外の楽しびを求め、この財(たから)を忘れて、危ふく他の財をむさぼるには、志、満つ事なし。生ける間、生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るるなり。もしまた、生死の相にあづからずといはば、実の理を得たりといふべし」と云ふに、人、いよいよ嘲る。

ふたたび、先ほどの人が「私が言いたいのは、人が死を憎むなら、その一方で生命を愛すべしということなのだ。生きる喜びを、日々実感しなくてよいものか。愚かな人は、この楽しみを忘れ、むなしく他の楽しみを求め、生命という宝を忘れて、なりふりかまわず他の宝を欲しがるが、そんなことをする限り、満足することはないのだ。生きている間に生を楽しまず、死にのぞんで死を恐れるなら、それは矛盾というものだ。人がすべて生を楽しまないのは、死を恐れないからだ。いや、死を恐れないのではなく、死の近いことを忘れ、それを仮に、生とか死にこだわる境地を超越しているというなら、それは悟りを開いた者というべきだが」と言うと、人はいよいよあざけるのであった。

『徒然草』第九十三段

 

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