阿部修士

本書において彼*1は、社会生活を営む我々人間を取り巻く二種類の問題と、人間に備わった二種類の脳のモードについて説明しながら、自身の道徳哲学の議論を進めていく。

 

二種類の問題とは「コモンズの悲劇」と「常識的道徳の悲劇」である。コモンズの悲劇とは、ある特定の集団内における、自身と他の人間との葛藤や対立 ――すなわち、《私》と《私たち》との間に生じる問題を指している。ある集団の中で、全員が自身の利益を貪欲に追求すれば、共有すべき資源は枯渇し、その集団はたちゆかなくなる。この問題を回避するには、他者と協力すること、すなわち《私たち》を《私》に優先させることが必要だ。

 

一方、常識的道徳の悲劇とは、文化や宗教、そして道徳的価値観に違いのある集団間の葛藤や対立――すなわち、《私たち》と《彼ら》との間に生じる問題を指す。道徳を異にする集団はそれぞれ、《彼ら》なりの正当な価値観を持っているため、その対立は容易には解消されない。この問題を乗り越えるには、 様々な集団間でも共有可能な新たな価値観を見つけ出し、《私たち》と《彼ら》との溝を埋めることが必要だという。

彼は「幸福を公平に最大化する」功利主義の背後にある価値観こそが、現代社会に必要とされている道徳の共通基盤ではないかと考える。これは合理的に考え妥協する、という単純な話ではない。彼の主張によれば、功利主義は誤解されている。幸福を求め、苦痛を回避したいとする人間の価値の核心を、公平に評価すること、つまり自身と他者とで幸福や苦痛の価値に違いはない、というエッセンスを盛り込むことで、共有可能な道徳哲学が生まれると彼は主張する。

正しく理解され、賢明に適用された功利主義を、彼は「深遠な実用主義」と名付けている。これこそが、常識的道徳の悲劇の回避を可能にする、グリーン氏の提唱する新たな道徳哲学である。

本書で展開されているのは、まさに科学に裏打ちされた哲学的議論であり、彼のこれまでの「哲学者」としてのキャリアのエッセンスが詰まっている。「二一世紀の科学を利用すれば、二〇世紀の批判をはねかえして、一九世紀の道徳哲学の正しさを立証できる、私はそう信じている。」という彼の主張も、本書を読めば納得だ。

常識的道徳の悲劇を乗り越えるために――「深遠な実用主義」に向けて

強調引用者

 

参考:ジョシュア・グリーン『モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上)』

 

関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2015/03/01/004656
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http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2015/02/25/190306

*1:ジョシュア・グリーン