宮台真司

マズローの欲求階層論によれば、生存の欲求が満たされても、安全の欲求があり、安全の欲求が満たされても、所属と承認の欲求や、自己実現の欲求が生じます。この議論のポイントは二つ。例えば安全の欲求から見て自己実現の欲求がゼイタクに見えても、下位の欲求をクリアしたあとに自己実現に苦しむ者のツラさは、安全の欲求に苦しむ者のツラさよりも軽いとは言えないというのが第一。第二は、上位の欲求になるほど、例えば何が承認にあたるか、何が自己実現にあたるかは人それぞれで、自明ではなくなること。(略)

そういう意味で、欲求の階層が上に上がるほど、当たり前さが消えていくわけです。成熟社会では、欲求階層の下層部が満たされて、上層部に移ったために、人々の欲求や願望の当たり前さを共有することができなくなります。具体的に言えば、人々の間で、何が幸せなのか、何が不幸なのか、イメージを共有できなくなります。社会が極端な貧しさに戻らない限り、これは永久に変わることはありません。「成熟」社会というゆえんですね。

『これが答えだ!』171〜172項